●昭和23年2月25日 | 岡山市宮浦に生まれる |
●昭和38年 | 光南台中学校卒業 |
●昭和41年 | 県立岡山工業高校機械科卒業 |
●昭和41年 | 同和鉱業岡山精錬所に入社 |
●昭和47年 | 国鉄中央鉄道学園大学課程土木科を経て同和工営入社 |
●昭和51年より4年間 | マレーシア(マムート鉱山)勤務 |
●平成10年 | 同和鉱業岡山工場技師長 |
●平成11年 | 岡山市議会議員初当選 |
●平成15年 | 岡山市議会議員二期目の当選を果たす |
●平成19年 | 岡山市議会議員三期目の当選を果たす |
●平成23年 | 岡山市議会議員四期目の当選を果たす |
●平成27年 | 岡山市議会議員五期目の当選を果たす |
夢と希望に溢れていた高校時代 | 浅間山登山で山頂にて | 国鉄中央鉄道学園時代学友と旅行先で |
休日に子供たちと一緒に (マレーシアにて) |
マレーシア時代 ダム内排水工事で現地作業員と共に |
マレーシアにて職場のダムの職長と共に 現地の平均的な高床式民家の前で |
東マレーシア、サバ州ラナウにあります。(下記の地図参照)
日本の鉱山会社が自主技術開発した初の海外露天掘鉱山。
欧米の大資本の鉱山会社に対抗するため、三菱マテリアル鰍中心として、
日本連合7社(三菱マテリアル、三井金属鉱業、住友金属鉱山、日鉱金属、同和鉱業、古河機械金属、日鉄鉱業)が
JVを組みました。
当時日本人従業員50人、現地従業員1000人が働いていました。
ベースキャンプ(飯場)全景 左が日本人スタッフの建物後方は東洋一の高さ4080mのキナバル山(神山) |
選鉱場全景 |
Tailing Dam 廃砕ダム、4辺提体でダム内面積200万u の砂ダム1日築堤量5000立方m |
採鉱現場 1段の高さ15mのベンチカットの露天掘り、 日産2万tの出鉱 |
Tailing Pipe 標高差800m、延長15kmの廃砕の 流送パイプ、ドロップタンク式 |